大洗の有志による大洗町でのサーフィンの導入と発展を紡ぐリサーチプログラム「大洗サーフレジェンドヒストリー 風の来し方、波の行く末。」が現在、ウェブ上で公開されている。
リサーチを進めるのは、大洗町出身・在住の栗原敬太さん、「大洗海の大学」の高橋良太さん、サーフィンをきっかけに大洗に移住した飯島晃彦さんの3人。
同プログラムは、昨年末に栗原さんと高橋さんの雑談の中で「大洗で最初に波に乗ったサーファーは誰か」という話題が出たことから発案。ウェブ上で公開するリサーチプログラム「大洗サーフレジェンドヒストリー」として、大洗で最初に波に乗ったサーファーを、インタビューを通して探しながら、現代史として大洗の歴史とサーフィンの結び付きを追い、次世代へつなぐ試み。
栗原さんは「大洗は関東有数のサーフスポット。でも『この街で最初に波に乗ったやつは誰だ?』という疑問に答えられる人はいない。テレフォンショッキング形式でこの街のいろんな『レジェンダリーサーファー』にかつての海に関わる話を聞いて、まとめてみようと思った」と振り返る。2月からリサーチを進め、6月23日現在、「note」上で2人のインタビューを公開。リサーチプログラムの記事では、あえて方言を残し、取材相手の息遣いが感じられる文体を意識しているという。
栗原さんは「サーフィンをただレジャーと言ってしまってはもったいない。カルチャーとして伝えていくことができれば」と話す。レジャーはラテン語の「licere(リセレ)」=「許されていること、自由であること」が語源。栗原さんは「サーフィンとは許可をもらってやるものではなく、この街のカルチャーとして捉えたいという思いがある。話を聞きながら歴史をたどる中でサーフィンと結び付いていくと、この街のサーフィンの成熟度が上がっていくのでは」と見解を示す。
調査を進める中で、徐々に大洗のサーフィン史が見えてきたという。高橋さんは「驚いたのは誕生期に漁師がサーフィンをやっていたということ。同時に、大洗の地形が港の開発とともに変わっていったのだと実感した。戦後の海沿いの開発に、サーフィンが一つの補助線になっている。調べれば調べるほど、『これが正しかったのか』という視点を持つことができた」と話す。
栗原さんは「海はただ仕事をする場所だけではない。サーフィンは、自分たちで遊び方や遊びを考えていくカウンターカルチャー。このリサーチプログラムを通して、次の世代の人たちが考えていくきっかけになれば」と笑顔を見せる。
大洗町では、1961(昭和36)年度から港湾建設を開始。栗原さんらの調査によると、1972(昭和47)年ごろ、大洗で初のサーフショップが開業したとされ、当時からサーフィンをきっかけとした移住者も多かったという。
高橋さんは「開発によって、サーフィンする人が大洗に移り住んでいた。自分たちが思っていた以上に広い世界が広がっていた。茨城のサーフィンの歴史は決して長くはないが、閉じてはいないと感じた」と話す。飯島さんは「調査に同行するうちに、街で交流する人たちがどういうことをしてきた人なのかという背景を知ることができている」とはにかむ。一方で、「自分はサーフィンがきっかけで移住をした経験があるが、この地の『海辺の良さ』に憧れていた自分と地元の人にとっては『当たり前』なのだと感じた」とも。
今後は、2カ月に1人の頻度でインタビュー記事を掲載予定。「もしかしたらこの過程で、現代における人と海との関わり方の方向性が分かるかもしれない」と期待を寄せる栗原さん。「これまでの積み重ねがあって、『今』がある。サーフィンをするために大洗に来るようになったという人や、これからサーフィンを始めたいという人に読んでいただいて、『歴史の波に乗っているんだ』と感じてもらえたら」と笑顔を見せる。